石巻市(第1次 雄勝 水浜)
(2011年7月9、10日車中泊、 救援物資)
雄勝は市内から車で1時間、小さな漁港で交通不便。「今、困っている被災地はどこですか?」と市内で聞くと「雄勝」という答え。被災後一週間は音信不通。救援の自衛隊船が来るまで海へ流された冷凍庫をこじ開け分け合ったという。 ( 写真は石巻市雄勝公民館の屋上に津波で取り残された大型バスです。今年、屋上からおろしたそうです)
3月11日の地震30分後には陸橋まで津波がきたという
(写真秋山様提供)
7月訪問時には、道路の上はかたづけられていたがそれ以外はまだ当時のままのところもあった。最初に持って行った物資は夏物衣類、リネン類、飲料水、食器等など。知人、友人に話をすると、皆快く寄贈してくれた。途中道路目印も津波で流され、ナビとカンで走る。
石巻市(第2次 雄勝 水浜)
(2011年7月19日 日帰り、救援物資)
浦安で自家用車に救援物資を沢山買込む。「僅かですが、
少しでもお役にたてば」と言うと「浦安も被災したんでしょう?
大変なのによく来て下さいました」と言われた。被害の点では
雲泥の差。夏休み以降、支援ボランテイアが減った。
雄勝のプレハブ仮設住宅30世帯。一世帯あたり4人で2間
早朝3時半浦安を出発、同日深夜帰宅。何度も休憩を取りながら約20時間、往復900Km
雄勝地区は医師がいない為、当仮設のすぐ下に東京から石井先生が週2回来て「孫の手診療所」を開設していました。診療所にも扇風機を数台お届けしました。
石巻市(第3次 雄勝 水浜)
(8月24日 救援物資、扇風機等)
家にあったものは流され、仮設住宅の床は断熱材がほとんどなく、冬物衣料を今から集めねばと危惧しました。避難所から仮設住宅に移ると、仕事収入がないのに自費でやらねばならない。商店も流され買物は車で往復1時間以上、ボランティア仕事はいくらでもある。夏物も着替えもないのでは大変だ。(この写真は震災当時のもの 秋山様撮影)
雄勝は孤立した漁港。でも皆さんとても絆が深く、助け合っています。雄勝に行くには河北ICを降りてからにはこの北上川の堤防上の細い道を海に向かって行く。ここを津波がのぼってきた。雨の日ガードレールもない。秋には舗装されるときいた。道に迷ったら大変。地図,NAVI,カンを駆使して、礫でパンクせぬよう十分注意して運転。
石巻市(第4次 雄勝 水浜)
(10月7、8日 救援物資、10月17日 救援物資)
途中、上雄勝地区でも至る所、堤防が決壊、道路も被害甚大。冬物衣料が沢山集まり車に積んで10月7、8日、17日とお届けしました。今夏は沢山集まったので借りたレンタカーバンに自費購入の電気アンカ、電気敷布等50個、友人・知人寄贈の食器、雑貨、食料品等も沢山積み、車の扉が閉まらぬほど。
知人、親戚から素敵なデザインの寄贈ティーカップ。食器類に感激してくださった。浦安市市民活動センターの皆さんも強力支援。市民力を感じた。夜、宮城県石巻市雄勝仮設住宅を出発、約7時間かけて休みながら帰路浦安へ 。石巻と千葉を日帰りで運転二人交代で往復できるとは考えてもみなかった。